浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

EがD

青空に向かって
僕は竹竿を立てた
それは未来のようだった

(「未来」谷川俊太郎)

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自分の体がいうことをきかないというのはとても怖いことで、そういう症状が出る病気もいくつか学習してきましたが、他人事ではありません。

なんのこととはいいませんが、ナニというか、谷川俊太郎氏の言うところの竹竿を、俗に息子と形容することがあります。

僕は結構この表現を面白いなぁと思っています。先日、元農林水産省事務次官が息子を殺害してしまったというショッキングなニュースがあり、クソ放蕩息子であるところの僕にも他人事ではないなぁと怯える毎日ですが、息子とはだいたい「思い通りにいかない」「いうことをきかない」ものでありまして、自分の体の一部であるものを息子という形で認識することによって、主体である自分からそれを客体として分離することができるなぁと思いました。

つまり、主体「見るもの、知るもの」としての自分と、客体「見られるもの、知られるもの」としての息子に分割するということです。

見られるものといっても、あまり自分以外に見られることのないように大切にしまっておきましょう。


さて、ある多重人格者がいて、自分の別の人格が自分の体を使って犯罪に走った場合は責任能力がないと見なされ免責あるいは減刑になることがあるとは思いますが(知らんけど)、やはり、竹竿が立たなかったからといって自分が責められることになるのでしょうか?

もちろん、今まで通り一般的に考えると、竹竿は自分の一部であるので、機能しなかった場合は本人の責任である。

と考えるのが通説かと思いますが、今回のように、竹竿を息子として考えることによって、自分の体の一部を客体化することができ、主体に責任がないというようには考えられないだろうか?

つまり、竹竿を立てられなくても「僕」の責任ではないのかもしれない。

もちろん、普段の生活習慣によって竹竿くんの健康状態も変わってくるので、そういう意味で責任はあるでしょう。
息子はいうことを聞かないもんだし、罪を犯すかもしれない。そういう場合に監督責任を親が問われるのはまぁわからなくはありません。


まぁ、なんというか、物を干すこともできない状態の竹竿に追い打ちをかけるのは可哀想なのでやめましょう。

ところで、高校の時に英語の授業の発表があって、そのときになんでか分かりませんがリンカーンについて話しました。

リンカーンについて何を話したかは忘れましたが、人々は無限の力を持っているという話をしたことだけは覚えています。
どういう意味で無限だったかというと、男の玉のなかには何億ものーーーそして大半は無念に散るーーー種がありまして、広瀬すずの種もあれば、リンカーンの種もあるかもしれない。
僕はこれをHOPと呼びました。HOPとはつまりHidden Offspring Power(隠された子孫の力)であり、秘伝の力であります。

このHOPをもっていたって、EDやDTの場合は効果は発揮できず、そういう意味でのH


男子校のころはみんなあんなに元気で、周りの男はみな猿並でした。

しかし、仲良い高校同期の友達で飲みに行った時に驚くべきことを知りました。

一人が自分の竹竿の不調を訴え始めると、8人ぐらいいた中で4人ぐらいが実は…と打ち明け始めました。

かなり多いなぁと思うとともに、中高時代いつも大きさを自慢していた人も21歳にしてバイアグラ商人と化していましたが、やはり若い場合は機能的にというよりかは精神的な原因が多いようです。

もちろん、精神的なものなので周りから言われるとさらにダメになってしまいますし、少しずつセイコウ体験を積んで自信をつけていくしかありません。暖かい目で見てあげましょう。

逆に中高のころに「俺まったく性欲ないんだよね」といっていた友達は、なんと中高時代1度も発電したことがなかったということを、大学になってから始めて打ち明けられましたが、今ではなんなら元気な大器晩成型HOPもいました。

 

 


寒い時期ですが、みなさんが健康になりますように。

 

 

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青空にむかって
僕は竹竿をたてた
それは未来のようだった

きまっている長さをこえて
どこまでもどこまでも
青空にとけこむようだった

(「未来」谷川俊太郎)