浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

ニーチェ、少年革命家ゆたぽんとやってることが変わらない

自己紹介。

自分というものは、自分が1番知っているようですが、言語化するのは案外むずかしい。自分に関連する多くの時間を過ごしているからといって、客観的に見ている時間はかなり短いもので、自己分析がうまい人間はある種の才能を持っているのかなと。

「鼻毛出ているよ」というのは割と他人に指摘されて気づくものなのです。

さて、今日はなんとなく本を買いました。

フリードリヒ・ニーチェの「この人を見よ」という本です。

この人って誰?って思いますが、ニーチェのことです。
ニーチェの代表作といえば「ツァラトゥストラはかく語りき」という本ですが、これは超人ツァラトゥストラという登場人物を用いて自分の考えを出版したものです。

自分をツァラトゥストラに代弁させたり、「この人」なんて第三者的な目線で見れるなんて、客観視や表現が上手いんだろうなと思ってなんとなく購入。

本の内容紹介はこんな感じです。
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本書はニーチェ発狂の前年に成った最後の著作である。〝この人〟とはニーチェ自身を指し、本書では自らの著作と思考の全体について、彼が時代とどう対決し、個々の著作はどういう動機によって書かれたかが解明される。価値の根本転換を説くニーチェの思考の到達点が簡明に語られているので、ニーチェ最高の入門書として、また風変わりの自伝としても読むことが出来る。
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目次を開いてみてびっくり。

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目次

なぜ私はかくも賢明なのか
なぜ私はかくも怜悧なのか
なぜ私はかくも良い本を書くのか
なぜ私は一個の運命であるのか
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お、おう。
すごい自己分析本だなぁと思って読み進めてみる。

 


読んでて最初にほーんってなったのはこの部分。
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p20
ところが、典型的に健康な人間にとっては、反対に、病気であることが生きること、より多量に生きることへの強力な刺戟にさえなり得るのである
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普段健康な人にとっては、たまの病気は人生のスパイスらしいということか。納得。

 

 

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p29
私は乱暴ということをあまり見下げてもらいたくないと思っている。乱暴とは抗議の最も人間的な形式であることにおいて際立っており、ものみなすべて惰弱化ふる傾向の只中にあっては、われわれの第一級の徳目の一つである。
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んー、たしかに。でも徳目は言い過ぎな気もする。

 

 

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p32
仏陀の「宗教」は寧ろ一種の衛生学と呼んだ方が、キリスト教のようなあんな哀れむべきものとの混同をさける為にもかえって良いのだが、この「宗教」はルサンチマンに打ち勝つことをもってその功徳とした。つまり、魂がルサンチマンによって左右されないようにすることーーこれが病気からの回復への第一歩なのである。
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ニーチェはバチクソのキリスト教アンチなんですが、仏教についての解釈はここで知った。仏教を衛生学と捉える見方は面白いなぁと思う。生活規範とかメンタル術として見れば仏教というものはかなり特殊なものに思えるかもしれない。
彼いわく、ルサンチマンとか恨みつらみは体に悪いらしい。なんか内臓で変な汁が出るからとか書いてたけど本当かは知らん。ストレスが体に悪いのはガチなんかな。
仏教はそういう俗世のしょうもないいざこざとバイバイして解脱するもんなので、彼的に評価が高いのかなぁ。

 

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p33
自己自身を一個の宿命さながらに受け取り、自分は「別様で」ありたいなどと思わないこと

p34
戦いとなるとまた話は別である。私は私の流儀に従って戦闘的である
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あ、割と戦うんか。なんか喋り方がイキリオタクみたいやな。そして、戦う時には彼なりのルールがあるらしい。以下に続く


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p35
第一条 、私は勝ち誇っている事柄にだけ攻撃を仕掛ける。
(中略)
第二条、私は同盟できる味方が見つかりそうになく、自分は孤立し、ーー自分ひとりが危険にさらされる場合にだけ攻撃を行う。
(中略)
第三条、私は個人を決して攻撃しない。
(中略)
第四条、私は個人的感情の食い違いなどが生じない案件、いやな目にあったとかあわなかったとかいう背後事情を、持たないような案件だけを攻撃する。
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めっちゃ逆張りオタクやんけ!
ちなみに、第一条に関しては、喧嘩売る相手が調子に乗るまでは黙って待っていて、波に乗ってきた瞬間叩くらしいです。

ほんとニーチェって陰湿だな


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p36
攻撃するということは、私の場合には一種の好意の証なのであり、ときには感謝の記しだといってもよいのである。(中略)私がそれらの味方なのか、はたまた敵なのかーーそういうことは私にはどっちでも良いことなのだ。私はキリスト教に、戦いを挑んではいるものの、キリスト教の側から災難や妨害を加えられた覚えがないからこそ、戦いを挑む資格が私にはあるのだと考えている
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といいつつなんか最後に釈明的なことを入れている。なんか良くないと思うんだよね。
漫画の敵キャラで実はいいやつだったみたいな展開が1番苦手。敵は敵でい続けてくれた方がかっこええな。

 

 



ニーチェの発想といい、結局台頭する人間って周りと別のことをしている人間なんだよね。いい目立ち方にしろわるい目立ち方にしろ、擁護する信者や叩くアンチが湧いて、少年革命家ゆたぽんのYouTubeチャンネル登録者数は増える。

 

そんなこんなで、「なぜ私はかくも賢明なのか」の章を読み終えたところでこの本を閉じることにした。

なぜなら僕もまた逆張りオタクだから、ニーチェの思い通り最後まで読んであげるのは腹が立つからだ。