浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

美術の「び」の字も分からない

今日はなんか上野の美術館と科学博物館に行ってまいりました。上野の美術館に行くのは幼稚園ぶりで、前回行ったのはたしか自分の絵が表彰されて飾られていたからです。東京美術文化協会賞。今は別になんも絵は上手くありませんし、教養も深くありません。

そう、僕は美術に関して門外漢だったんです。西洋美術に関してはそれについての背景常識、つまりキリスト教であったり、神話であったりの知識が必要です。
では果たして門外漢のジャンルに関してはどのように楽しめばいいのでしょうか。それについて今日思いついたことを書いていきます。

 


セパタクローという競技をご存知でしょうか。足でやるバレーみたいな。

セパタクローの楽しめる段階を例えば三段階に分けたとしましょう
①なんも知らない人
②ルールだけ知ってる人
③競技をやっている人

彼ら三者にとって、セパタクローの試合というものの楽しみ方というのは違います

①「はえ~すっげ」
②「なるほど、あそこがこうだからこうなんか」
③「あのテクニックが難しいんよな、なかなかやる」

というような感じです。①の人はせいぜい「すごいなぁ」の感情しか湧きません。だって知らないんだもん。実際にルールを知ったり、やってみたり、その後熟達していったりすることによって鑑賞の方法は深みを増すのではないでしょうか。

僕は美術に関してほとんど知識が無かった。だから今日行っても「はえーすっげ」としか思わなかった。でも僕はそれを恥じているのかというと、全くそんなことは無い。

無知は罪ではないし恥じることでもない。美術館だけではなく、その後国立科学博物館の特別展示の人体展にも行ったのですが、そこで最初に出てくる「汝、自身を知れ」というのは有名なものなんですよね。アポロンを祀っているデルフォイの神殿の入口に刻まれています。この文言にはいろんな解釈があって、ここでは自分自身の体について学べということで人体研究みたいな感じに繋がっていましたが、この神殿の話で有名なのはなんと言ってもソクラテスですよね。話は端折りますがソクラテスは「無知の知」というものを学びます。「汝、自身を知れ」というのは「自分は知らない」ということを知る事だという解釈。
無知の知を知っている時点で、自分がなんでも知っていると思っている人よりも賢いという発想。

まぁそんなこんなで僕も無知を恥じてはいません。


しかしここで罠があって、無知を誇ることであったり、無知のくせに知った振りをしたりすることはいけません。

例えば昨日ですね僕はドヤ顔でサトウマサヤくん(仮名)に

「イヌはネコ科なんだよ」

と言いましたが、疑った彼が調べたら普通にイヌ科でした。これは恥ずかしい。
イヌはネコ目イヌ科なんですが、ネコ目に属してるんだ~面白という微妙な記憶でイキリ散らしてしまいました。反省。


他にはそうですね。無知だからといって試してみないのはなんというかもったいないなと思います。

無知なら無知なりの楽しみ方があるし、それは大切なことだと思います。

セパタクローを見て「はえーすっげ」と思わなければセパタクローを始めようとは思わない。

逆に一番大切な鑑賞の段階というのは無知の時の対処なのではないかと思います。


美術だって同じです。こんな日曜に大勢の人が休日を潰して見に来るんだから、ハマるなりの理由がある。それを見ないでこのまま生きて死ぬのはもったいない。