浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

誰かへ捧げる浪人総括〜第7章 現役時代の面接①〜

5月の頃でしょうか、模擬文化祭とかいうのがあって、高校3年の後輩が高3が文化祭の練習をするんですよ(あと10月ぐらいにもあって、11月に本番です)。

そこにOBという名の老害が来て、差し入れをもってきて、なんかコメントして〜というか僕は他人に口出しするのがそんなに好きではないんで褒めるだけ褒めるんですけど、まぁそんな会があります。

そこに行った瞬間、後輩に最初になんて言われたと思いますか?「あ!w 限界浪人生だ!w」ですよ。僕はニコニコしていました。
筑駒は上下の厳しさみたいなのが運動部でもほとんどないので先輩も大好きだし後輩も大好きです。実際先輩に舐めた口を聞くことが僕自身もかなり多いので、大学に行ってからは気をつけようと思います。

僕は縁日班のアトラク部門長だったのですが、コント班の模擬文のコントも見に行きました。なんか高校同期が偉そうに後輩にコメントしてましたが、僕はそんなコントを本気で練習するみたいなことをやったことが無かったので普通に面白かったです。アイススケートの知識がある人は、スケートの演技をうまく語れるのかも知れませんが、僕はスケートの知識がないので「回ってる、スゲー😎」とただただ感心します。

その中のコントで、正確には覚えてないんですけど、「テキトーにやっても線路の向こうの大学ぐらいしか受かんないよ」「東大じゃねぇか」みたいなネタがあったようななかったような気がしますが(筑駒と東大は井の頭線駒場東大前駅を挟んで北と南です)、若干筑駒生の自尊心が見え隠れしてこういうところはちょっとしんどいなぁと思います。

僕はそれについて「いやぁ、案外落ちるからね、東大、ガハハ!w」とコメントしたら、後輩に笑われてしまいました。後輩、かわいい。

関係ないんですけど、僕の誕生日って6月6日なんですよ、だからすごい6という数字が大好きで、僕の代は65thで、一個下が66thです。中学で入学した時に、学籍番号も6×6で36だったので、「惜しいなぁ、あと一個ズレたら66期だったのになぁ。」
と思っていましたが、無事にフラグを回収して、僕は浪人して学年が一個下に落ちました😢

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第7章 現役時代の面接編①

僕には面接で失敗した苦い記憶があります。今年の面接について語る前に、それらについて語らなければなりません。

面接がヤバいとはいいますがキョドるということはほとんどありません。小学校のときは児童会長をしてたので、大勢の人前で臆せずして喋ることもできますし、あがり症でもありません。
しかも中高時代に何回も何回も担任や担任団に呼び出されていたことによって、密室で圧迫されることには慣れていました。高1のときでしょうか。1度ある教師が授業を一コマ休みにして授業中の態度が気に食わない(悪い、ではなく気に食わない)生徒を1クラス3人ぐらいを1人ずつ準備室に呼び出してブチ切れていったことがありますが、その経験をした僕には、どんな圧迫面接がまっていたとしてもまったく怖くはありませんでした。
怒られた内容は理不尽で納得いかないなぁと思っていることもありますが、そういう意味の経験としては、大変ありがたいお話(笑)だったと思っています。


筑波大学医学類 推薦
じゃあなんで面接失敗したのか。というと、一言で言うと内容面です。
推薦ってね、受かったらまず行かなければいけない。別に筑波ならつくばエクスプレスが早いから東京にすぐ来ようと思えば来れるのでまぁいいかなぁと思っていましたが、前述の理由で僕は千葉以外行くつもりがあんまなかった。もし千葉に落ちると思っていたらここを狙いにいくのかもしれませんが、全く落ちる気がしなかったので(所謂、現役生の全能感というやつです。)、ここを受ける意味があるのかなぁと思いながら、もう担任と話をつけていたし、ここの推薦受けるためにわざわざくっそめんどくさい評定をあくせく4.68まで伸ばしていたわけで(受ける要件に、評定がAランク(4.3)以上っていうのがあって、Aとれるのは学年160のうちの40ぐらいです)、せっかくだし受けるかというつもりで受けに行きました。実際どっちでも良かったです。

といってもここは例の標語「浪人生 何を言っても 負け惜しみ」ということで、落ちた身分の人が、後から「いや〜wやる気なかったんでねw」というのはすごいダサいので、全力で受けたということにしておきます。

筑波の推薦は募集30ぐらいで、倍率は5.8倍とかだった気がします。全国の国立医志望とかが受けに来るので、普通って前期試験は3倍とかなんですけどそれよりは人が多いし、東大の推薦みたいに、前期で余裕で受かるような人たちを青田刈りしてるんじゃないですか(青田刈りというか、既に実ってる人たちですが)。ムズいです。
評価方法は小論文と面接なんですが、小論文は小論文という名の筆記試験で、英語長文2か3と数学大問3つで合わせて120分と、理科二科目で大問の数は覚えてませんが120分です。
理科はほぼ出来て、英語はわかんなかったので鉛筆転がして、数学は、大問1が厳密には絶対高校数学で解けないやつ(と鉄の先生がいっていた)で解けなくて、大問3は統計で信用度とかなんも聞いたことがないので解けなくて(センター試験で数2Bとくときの選択でベクトル、数列、統計から二科目選びますが、普通は統計以外の二科目を選び、統計の分野は習っていません。)っていう感じでした。
でも筆記は別に取れるところはちゃんとやっていたので問題はなかったと思います。

ああ、今回は面接の話でしたね。面接についてはよく「志願理由書」みたいなのを書かされることが多く、この場合も書いていて、その下書きがなんか残ってたので後輩の参考になればと思って書き残しておきます。


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私は筑波大学附属駒場中高等学校で6年間学びました。中3と高2の筑波大学訪問によって教養の域から専門の段階を、筑波系列校で開催されたヤングアメリカンズへの参加によって外国の方や障がいをもつ方との多様性に溢れた包括的な社会を、意識するようになりました。筑波大学は留学生も多く系列校との繋がりもあると部活の先輩もおっしゃっていたので自身が成長する良い環境だと捉えています。
ところで、私は2歳頃に電気ポットを事故で蹴ってしまい熱湯で右足の甲が溶けてV字型にくっついてしまいました、差詰め左手を火傷した野口英世の現代版といった所でしょうか。幸い素早い処置のお陰で彼の場合とは異なり、皮膚を移植し無事に歩けるようになり、小学校から楽しく陸上競技を続けることが出来ております。これは一例ですが、私の日常はこうして医療によって支えられ、私もまた医学を学び人々の日常を支えたい強く思います。
さて、大阪で生まれ東京育ちで故郷といった帰属意識は薄く、茨城で医療に従事する覚悟もあります。一方私はまだ専攻の科、ひいては臨床医、研究医、または医学の知識を行政や企業で生かすか等の進路は未だ決めかねておりますが、卒業時には24歳、そのうち中高大12年という人生の半分を「筑波」で過ごすわけですからきっとそれは今より広い見識の下で見つけられるだろうと信じています。
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「「「差詰め野口英世の現代版といった所でしょうか」」」

ずいぶん自己評価が高いですね。素晴らしいと思います💯

 

言い忘れてましたが、筑駒って一応筑波大学の附属なんですよ。校長は普段校内には不在で、筑波大学で教授をやっています。

筑波大学って前身は東京教育大学なので、普通に筑駒も東京教育大学附属駒場だったんで(通称は筑駒ではなく教駒でした。)、まぁ東京にあるんですけど、筑波大学の附属であることと、開成みたいに知名度がある訳でもないので、筑駒の入学者は6年間

「茨城まで通ってるの?大変ね」

というハラスメントを受け続けます。

という話は置いといて、筑駒から筑波大に進学する人は毎年1人いるかどうかぐらいの繋がりなんですが、形式上は筑波大学の附属であって、その中で成績優秀(そうに見える生徒。ちなみに評定は学年1桁ですが、模試とかだと上から丁度半分ぐらいの位置です。)な生徒がわざわざ推薦受けに来てるんだから入れてくれよと思いますよね。なんか進学懇談会的なところで筑波の医学に推薦で入った人は学年160人中下から10番だったとか20番だったとかなんとかみたいな話を聞いてたんで、正直附属補正で受かるんじゃね?と思っていました。

という話は置いといて、という話をさらに置いておいて、冗長になってしまったのでそろそろ面接の話に入りましょう。

この頃はですね、腹を割って話すのがカッコイイと勘違いしていました。人と人が喋ってるのに、なんで前もって作っておいた医師の志望理由をテンプレ解答で返すのかが意味がわからなかった。テンプレで話すのって失礼じゃないですか?1日何十人も面接するのに、揃いも揃って似通ったどこの予備校が作成したのかわかんない定型文はなしてるのとか面接官辛いでしょ。と思っていました。

そこで、僕は!

絶対に用意しろと言われている医師の志望理由、本学志望理由を全く考えずに突撃しました!

この先に悪夢が待ち受けているとも知らずに…。


どういう悪夢だと思います?言葉に詰まって空白の時間が続いたかとかだと思います?

断じて違います。普段から早口饒舌マン要請高等学校で過ごしてきた僕はすぐに思いついた言葉を発言することが出来るのです。

じゃあ何が問題か?結論から言うと

【ダダ滑りしました😢😢😢😢】

 

入室し、元気よく「筑波大学附属駒場高校に在学中のポメダトゥーモキです(仮名)。よろしくお願いします」と筑波アピールをすると、面接官は二人いるんですけど歓迎ムードを示します。

そして早速ですね「医学類を志望した理由を述べてください」と言われました。僕は間髪置かずに、率直に思ったことを言いました。

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医学類を志望する、ということは、ほとんどの場合将来医師になることを望んでいる。ということでしょう。
自分のなりたかった職業について、振り返ってみて、なぜ今この場に来ているかの説明になればと思い、話させて頂きます。

幼稚園の頃でしょうか。僕はアンパンマンになりたかった、でも常識的に考えてなれないということを悟った僕は、ムシキングが流行っていたので、昆虫博士になりたいなぁと思いました。
でも、冷静に考えて昆虫博士で生計は立てられないじゃないですかぁ〜?(実際こんな感じの舐め腐った語り口。)
ということで、なんか親に宇宙的などこかの施設に見学に連れていってもらった時にああ、宇宙飛行士になりたいなぁと思いました。
でも、視力が足りないとか、昔そういうのが厳しかったですし、宇宙飛行士は無理だなぁと思いまして〜。

中学受験終わった後、合格発表の現場とかでなんか雑誌とかから取材を受けるんですけどwその時に将来の志望を聞かれてw

「ガイカイ」

って答えちゃってw外科医の読み方ゲカイなんですけどwアハハ
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僕はここで完全に「キメてやった!」と思いましたが、相手は真顔。

ウケなくて逆にイライラしてきた僕は、沢尻エリカの「別に」みたいなスマした喋り口に変わっていきます。


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それで、なんでそうなったのかなぁというのを考えると、やっぱり、日頃の街のお医者さんにお世話になってきたことで、そういう姿に憧れたからじゃないんですか?

というか、今この現場に来ている時点で、受かったら医師になることが決まるんだから、来てる時点でそれぐらいの熱意があるに決まってませんか?
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と、若干オタク特有の早口になってまくし立てながら、相手の質問に疑問形で返して最初の質問に答えました。
後ろの方の理論に関しては、昔の記事にその思想が色濃く現れています(http://kusomaguroman.hatenablog.com/entry/2017/07/17/212153)。

相手は困惑した表情をしながら次の質問をしました。
「陸上部に所属していたようですが、何をやっていましたか?」

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走ってました。
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明らかに種目の話をしているのに、スネてしまった僕はこう答えてしまいました。
もはや会話をする気がない。

その後いくつもの話をしまして、文化祭の話とかをされた時はちょっとニコニコになって話すんですけど、気になった質問を1点だけ挙げようと思います。

「辛い持病を持った患者さんが診察に訪れてくることがありますが、患者さんの気持ちが分かりますか?」
という質問です。僕は

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幸い身内にそのような重篤な症状を負った者はおりませんから、患者の気持ちはわかりません。
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と言いました。これだけ聞くとヤベェ奴だと思われるし、冷静に考えて言葉足らずだったなぁと思います。

なんで僕がこんなことを言ったのかというと、僕はその人本人ではないから、その人の気持ちは推測こそ出来るかもしれないが理解することは出来ない。と思っているからです。

たしかに、こういう病気はこういう症状がある、みたいなことを知っていたり、実際に自分もインフルエンザにかかった経験があったりすることによって、その推測の精度があがるかもしれませんが、それとは別に

「他人の気持ちを推測して決めつける」

という行為は本当に頭がおかしいと思っているので、絶対にしてはいけないと思っているので「わかりません」と僕はそう答えました。

これに関しての記事を昔書いているので参考にしてください。(http://kusomaguroman.hatenablog.com/entry/2017/08/03/214829)言葉尻とかは若干変わっていますが、本質的にはおなじだとおもうので、そこらへんは記憶の齟齬だということで許してください。


この話を昔どこかでしたら、高校の一個上の医科歯科の先輩が「患者の気持ちがわからないって言うのは大丈夫だよ」的なことを言ってきましたが、実際にどうなのかはわかりません。

僕はその面接官じゃありませんから。

 

でもその面接官の反応はどいうものであったのかは何となく伝わりました。

四月ごろでしたっけ。点数開示というものが来て、正確な点数は出ないんですが、不合格ABCのランクがあるうち、僕は不合格Cでした。

 

筆記の成績的に見れば、そんなことありえないのに。

 

(第8章に続く(次回は千葉医の面接の話です。))