浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

東京にいながらして北海道のカニを食べたい

今からする話は数ヶ月前のものなので少し記憶が違っているかもしれません。

ジャンプで漫画を読んでいて、そうそう、「鬼滅の刃」という作品なんですが、大体のストーリーを言うと、鬼と人間が戦うというものなんです。
その戦いの中で、鬼に対向する人間の組織の幹部が、鬼に認められて「お前は強い、すぐに死んでしまう弱い人間なんかではなく鬼になって武芸を極めないか」と誘われるんですが、「人間は鬼と違って死ぬし、死ぬその儚さ故に一生を大切に生きられるのだ」的な感じで断って戦い続けるものの、主人公に思いを託して死んでしまいます。

うわーカッコイイ。その時はそう思いましたし、なによりこの作品セリフ回しが異常に良いものですから、惚れ惚れとしてしまいます。

 


さて、ここまでは話の枕で、ここからが本題です。他の作品でも、人間の儚さを肯定して、不老不死の存在だとか、科学的に肉体改造された人間をネガティブキャンペーンするものというのは案外多いですよね。

果たして本当にそうなんでしょうか?

たしかに、不老不死ではないからこそ毎日毎日を大切に生きられるのかもしれません。

ですが結局は、人間は不老不死にはなれないから、弱者のルサンチマンとして不老不死をとりあえず叩いて、弱者である所以、即ち「死ぬ運命にあること」、いわゆるmotalityをバンザイしているだけにすぎないんじゃあないでしょうか?


なんてったって不老不死(というより、生きたいだけ生きて死にたい時死ねるみたいな)方がいいに決まっています。

 


例えば、昔は東京にいて新鮮な北海道のカニを食べるということは出来ませんでした。この不便さ故に、「北海道のカニを食べる」という経験は大変希少性が増しますし、貴ばれます。
しかし現代では、東京にいながらして世界各地の名産品を食べることが出来るじゃあないですか。そういった場合、世間一般の人の多くは、わざわざ各地に赴かずに、東京で食べることを選択する方が多いと思います。

要はそういうことじゃないんでしょうか。