浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

戦う前から勝負が決まりきった試合

戦う前から結果が知れてる戦いってよくあるじゃないですか。
フィクションの世界では劣勢な方が勝つ傾向にありますね。

世の中にはお決まりというものがあって、ドラゴンボールのように少年誌の漫画では、「敵がでてくる→苦戦する→倒す→さらに強い敵が出てくる→以下略」みたいな展開がメジャーですし、ドラゴンクエストで最初に出てくるボスがフルパワーの魔王なんてこともありません。これもお決まりです。

怪獣はほとんどの回でウルトラマンに負けますし、バイキンマンはほとんどの回でアンパンマンに負けます。そしてトムはほとんどの回でジェリーに負けますが、子供の頃はそれでもハラハラドキドキします。

それでは大きくなったらどうでしょう。新しい敵が出てきて、苦戦はするんだけど「どうせ最後は勝つんだろうな」という風に展開が読めてしまうので、ハラハラドキドキ感というのは薄れてしまいます。RPGでも最初の中ボスなんて所詮10レベぐらいでたおせるんだからそれぐらいで突撃しますし、わざわざ魔王対策としてレベル50ぐらいまで上げようとなんてしません。


ああ、先が読めてしまうと、なんてつまらない。漫画を読んでいても「あ、こいつ死ぬな」とか「漫画の構成的にはこの個人戦負けて、団体戦の方で勝つな」とか、「この漫画もうすぐ打ち切りだから、今地区大会だけど、来週には甲子園優勝してるな(或いは、スペインでゴラッソしてるな)」と読めてしまうんです。


ここまではフィクションの話ですが、現実世界でも先というものはある程度読めます。だいたいは優勢な方が勝つのです。

人生がもしある種のゲームだとしたら、しかるべきレベルアップにそって、最終的になんとか勝って幸せになるものかもしれません。そういう姿をドラクエ的と呼ぶことにします。

一方で、昨日今日練習をしたことで甲子園優勝校に野球で勝てるはずもありません。これが現実でしょう。人間というのは隣の芝が青く見えすぎるように生まれているものなので、ドラクエ的世界観への憧れというものがどこかにあって、そういうものを美しいと思う傾向にあります。

今、プラトンの饗宴という本を読んでいます。彼の本の多くは登場人物の対話によってなされていますが、この本では登場人物達がエロースの神(愛の神)をそれぞれの演説で褒め称えています。ここでパイドロスだかパウサニアースだかが、古代ギリシャでの愛について「愛される側はすぐに愛する側を受け入れるというのは美しくなく、最初は幾分きつく当たったり、試練を与え、それを乗り越えて愛を成就するのが美しい」と述べていた記憶があります。
こういうのもやはり、ドラクエ的なんですね。ドラクエ5では花嫁への愛を示すためにダンジョンに挑んでなんかのアイテムを手に入れに行く必要があったと思います。これはこういった文化にならっているのか、それとも「かぐや姫」で、かぐや姫愛のしるしとして求婚してくる王子達に火鼠の皮衣や蓬莱の玉の枝をとってくるように命じたことを真似たのか、それは製作者にしかわかりませんが、いつの時代、どこの国でもこういうものに憧れるということはあるようですね。

かぐや姫では、王子たちが指定された品目を持ってくることが出来ず失敗に終わり、こういうところが「あ、日本らしいな」と思うんですけど、ドラクエを含む多くの物語では「大変。大変だけど努力の末に、結局は報われる」というストーリーが待っています。


現実世界では、どんなに頑張ったって社会的に成功したり、愛が成就したり、はたまた甲子園で優勝したりできるかなんてことは知りません。むしろ、いろんな人の人生も「勝負が決まりきった負け戦」であることの方がどちらかというと多いでしょう。

 

でも、それでも、どうか自分の人生がドラクエ的であることを祈って、今日とこれからを生きましょう!