浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

足裏に、感覚を集中して

人類が生まれて数百万年、僕らは靴を履いて歩くようになった。
そして忘れてしまった。大地との繋がりを感じなくなってしまった。

 

裸足。みなさんはあまりならないかもしれませんが、僕は裸足が、そして靴下で歩くのが好きです。
小学校の時から中学校、高校に至るまで学校で上履きを履かずに歩き回ることが多かったです。

なぜそういう風になったのかというと、「裸足の方が速く走れる」というデマなのかデマではないのかよくわからないものが小学生の中で流行る。小学生というものは足の速さで価値が決まるといっても過言ではないので、もちろんそのために✝瞬足✝やらなんやらでコーナーで差をつけようとするものですが、僕らの小学校では靴下で走るのが流行りました。
幾分グラウンドの砂は少し大きく角ばっていたため、裸足で走るには痛すぎた。そこで靴下で走ると、ちょうど良い。土を踏みしめ、土を押し、土に押されるそんな実感が大好きでした。

そして、裸足で走るということは実用的なことでもあって、これによって運動能力が向上するというのはよく指摘されることですよね。


さて、人間に個性があるように、地面にも個性があります。
柔らかい道、硬い道
デコボコした道、平坦な道
コンクリートの道、小石が多い道
靴を履くことで、これらは無個性なものになってしまいます。

確かに、靴を履かないと危ないことはたくさんあります。昔、裸足で校庭を走っていて栗のカラを踏んずけてしまって足に針がたくさん刺さってしまったことがありますし、文化祭作業中に釘を踏んずけてしまって血が出たことだってあります。
靴というものは危険から身を守ってくれますが、地面と僕、地球と僕の間の熱い包容を無機質な靴底が遮ってしまいます。

 

……さぁ、果たして本当にそうでしょうか?集中している時にセミの声とかが気にならなくなるのと同様に、意識を向けていないからこそ足裏なんか気にしていないというただそれだけのことなんです。

歩く時、裸足になろうとは言わないから、たまに意識的に足裏の感覚に注意してみてください。きっと感じることが出来るでしょう。何をか?凹凸や、硬さといった、大地の個性です。
これらに意識を向けながら、一歩一歩を踏みしめて前に進んでいくのは幸せな事ではないでしょうか?