浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

東大生でも包丁で刺されたら死ぬ〜君の膵臓、めちゃウマで草〜

浪人生なので映画でも見に行こうということでトーホーシネマズに行って、スケジュール的に上映開始四分前ぐらいに「君の膵臓を食べたい」という映画に突撃しました。

これは数ヶ月前に某友人が推していた本が原作なので楽しみにして予備知識なしで見ましたが……めちゃくちゃ浅いなぁ。というのが感想です。

以降はネタバレを含むので自分で見たい人はブラウザバックして、見てから読んでいただけるとありがたいです。

批判するのが大好きな精神異常者なので随所随所で思ったことを書いていきます。
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見てない人向けのテキトーなあらすじ

この物語では、教師である主人公の過去を、ある図書委員の生徒に対して語ることを通して回想していきます。

高校時代、主人公はクラスの日陰者だが、ある日病院で同じクラスの人気者の女子の共病日記という自身の病気についての記録を拾い、彼女の膵臓の病気について家族を除いてただ1人だけ知ってしまいます。
その後、その女子から積極的に関わられるように、遊びに誘われるようになります。唐突に同じ委員に立候補されたり、博多のお泊まり旅行に連れ出されたり、そして親のいないお家に呼ばれたり。最初はそれを嫌がっていた主人公ですが、その体験を通じて彼女に惹かれていく...
一方で、彼女と関わることでクラスの彼女の親友から冷たく当たられることや、彼女の元カレであったクラスの委員長に殴られることなどの事件も起こり、今まで他人との関わりを避けてきた主人公にとってはなかなか厳しい事件がおこります。一方でそのように実存的に他人と関わるようになったことで、友達もできるようになります。

そんな中で彼女の持病が悪化、退院したら桜を見に行こうということでサプライズとして周到に準備します。退院の知らせを受けて意気揚々と待ち合わせ場所に着きますが、そこで彼女からの連絡が途絶えて待ちぼうけ。
その後駅の巨大液晶のニュースで、彼女が最近話題の通り魔に襲われて死んでしまったことを知ります。
そうして完全に心を閉ざして一ヶ月引きこもってしまった主人公は、彼女のお家に行って、生前の約束通り、例の共病日記を彼女の母親に見せてもらいます。そこに書かれていた彼女と過ごした日々の彼女の心中を知って、泣きに泣く。

というのが過去の回想。それを聞いていた、本の整理をしている図書委員の発言によって、彼女が残した手紙を現在になって図書室の蔵書から発見します。それを読んで、ほぼ喧嘩別れとなっていた彼女の親友との仲直りや、退職希望の取り消しといったような前向きな出来事が現在においても導かれて終幕します。
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はぁーーー要約書くのってめんどくさいですね。めんどくさい。

僕は前にも言ったかも知れませんが、タイタニック以外の映画ではなかなかに泣くことはできません。こういう話でも感動して泣くどころか、むしろなんか浅さを感じてしまいました。
僕は、感動シーンで泣くどころか、めちゃくちゃ笑ってしまう人間です。「あ、ここ泣かせようとしてるな、浅ましいwww」とか思って笑いを隠しきれません。

なんか、病気だとか死だとかが出てくる映画って基本的にズルいんですよね。まぁそういう点ではタイタニックもズルイんですが。彼女の病気を知ってしまって様々なゴリ押しの要求を受け入れてしまった主人公と同じように、病人には強く出れません。

すぐに生き返る世界線、そうですね、例えばドラゴンボールの世界では、死んでも、「でぇじょうぶだ、ドラゴンボールで生き返る」というように死というものが大変に価値のないものなのですが、実際の僕らの世の中というものはそれとは訳が違います。

24時間テレビで、障害を持つ方々をダシにして安い感動を売ってるのと同じような不快感を感じる人は少なくないと思いますが、こういう映画でも感じざるを得なかったのは、僕がひねくれているだけなんでしょうか?

 


さて、この文書はよくある「死ぬ人間が愛を通じて教えてくれる、生きる気力、理由」というテーマを様々なストーリーで具現化した作品の一つですが、僕はもう一つの大きな潮流を感じました。これは現在の流行りであり、そしてどうしようもない、解決出来ない問題でもあります。

そう、「コンテクストをガン無視した理不尽で強制的な存在」というものです。この作品で少し面白いなぁと思うのは彼女が病気ではなく、通り魔に刺されて死んだところです。

僕は昔友達がこんなことを言っていたのを思い出しました。「は?殺すぞ東大に受かったからと言っても包丁で刺されたら人は死ぬんだ」と。

これは、なんとも悲しいことですが、真理なんですよね。コンテクストとは文脈や背景という意味です。何でこれが最近の流行りの問題なのかわかりますか?端的に言って世界各地で起きてるテロですよね。
どんな崇高な大志を抱いて堅実に起きている人にも、そしてどんなにグータラしている人にも、平等に、そんな背景をガン無視して訪れるこのテロというものはなんとも無力感というものが。この点ではこの作品は面白いなぁと思います。

 

次に、物語で登場してきて恐らくドヤ顔で作者が書いて、読者の多くが感動した()と思っている作中のセリフについて触れておきたい。

「私たちは皆、自分で選んでここに来たの。偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今まで選んできた選択と、私が今までしてきた選択が私たちを会わせたの。私たちは自分の意思で出会ったんだよ」

これはヒロインが言ったセリフで一瞬あ〜これは激エモですね。と思ったんですけどよく考えれば普通におかしいですよね。
ある選択をしたらその後どうなるとわかっててその選択をして出会ったのならある意味「意思で選んだ」のかもしれませんけど、実際にはそんなことありません。
包丁を持って、相手を刺すと、99%以上怪我なり死亡なりしてしまうでしょうから、もちろんそういうような責任は取らなければなりません。
しかし、超巨大な扇風機をつけたとして桶屋が儲かる確率なんて1%もないんですから、たとえその結果桶屋が儲かったり人が死んだりしてもそのような責任もないし、あったとしても意識の外、つまり過失です。

各々の選択で出会うことになる確率なんて、包丁で人を刺す方ではなくて、風を吹いて桶屋を儲からせるようなものなので、それがあたかも自分達の意思であるかのように語るのはおかしくないですか?


他の発言だとそうですね、「膵臓を食べたい」っていうとこですかね。これはレヴィ・ストロースが批判するところの構造主義についての話でしょう。
さて、浪人生らしく参考書の説明から引用してみましょう。
未開の地では「キツツキのくちばしに触れると歯痛が直る」だとか信じられていますが、それを「原始的だ」と批判するのはお門違いで、要するに病気のものに対してそれに関していいものを抱き合わせて改善にしようという考え自体は先進国の臓器移植などと同じ動機に基づいている。未開の地も先進国でも同じ構造や論理を元にしているので、実際に起こす行動が違うだけで、優劣に差があるというものではなく、未開の地の手法を馬鹿にするのはエスノセントリズムだ〜みたいな話ですね。
はい、まぁ膵臓を食べたいというのは、そういう構造を元にしてるわけで、試験中に「あ、進研ゼミでやった問題だ!」と思う漫画界の住民と同様に少しなるほどなぁと思いました。、


最後に少しお話をしましょう。
先日、こんな話をしました(http://kusomaguroman.hatenablog.com/entry/2017/06/02/235500)。そして、ある種の感動映画においても、こういうような自分の知識や経験が感動するかどうかの分かれ目になるのかなと思うことがあります。

もちろん、僕は男子校出身なのでクラスで人気の女子はいません。女装が似合う男子ならいましたが、別に惚れはしません。そういう僕にとってはいろいろと共学のクラス内の人間関係は理解不能な訳で。こんな誰々と仲良くなったとかで喧嘩まで発展すんのか馬鹿だなぁだとか。
当然、こんぐらい重い病気の人と恋愛したことある人間はいないでしょうし、唐突に博多にお泊まり旅行に行ったことのある人間だっていないでしょう。
しかし、僕は感動できませんでしたが、これに感動できる人間というものは、自分の過去であったり、経験なりとどこかしらで重なるものがあったのでしょう。

過去の回想編のヒロインの人は16歳らしいですし、世の中の人はああいう経験してるんでしょうかね?いやぁ、いいもんですね。

といいつつも、主人公は女子に不慣れな男子なので、いろいろと「わかるなぁ」というところはありました。
例えばめちゃくちゃ長文のメールを打って消すところとか。
これは男子校出身者なら誰もが通る道らしくて、別の高校に行った友達も送ったことが黒歴史になっていると言っていましたが、もちろん僕だってやった事があります。
でもね、なんというか、やってみた方がいいもんだよね、いろいろと。

それでおいて僕達とこの主人公の何が違うかって、やっぱりノンフィクションかフィクションかの差ですよね。主人公には、向こうから積極的に来てくれて、自分の物静かさから何か深みを見出して尊重、受容してくれるヒロインがいます。当然の帰結としてこうなるでしょう。

実際の世の中では、ヒロインが不細工だとストーリーが始まらないし、ヒロインが声をかけてくれないので主人公だって何もできません。

僕だってね、家に帰ったら美人が居て、いい子いい子してくれるなら普段からもっと頑張って生きてもいいですよ。でもそんなことないじゃないですか。

 

そういう事の片鱗でも経験があるらしい、この映画を見て感動している周りの人が少し羨ましく、若干馬鹿にしている僕がいます。