浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

全知全能の神はパフェの味に感動できるのか?

日々生きていく中で、世の中の物事が思い通りに行かないと辛いし、それに絶望することは少なくないでしょう。


思っていたほど綺麗ではない観光地や景色。
思っていたほど美味しくない食べ物。
思っていたほど楽しくないゲーム。
バク転をしようとしても、思っているように動かない体。
超絶美声を出そうとしても、思っているように出ない歌声。
待ち合わせに間に合わせようとしてもいつも遅延している中央線。
朝起きようとしても目が覚めるのは昼。


こんなことは細かいところまで1日過ごすだけでも何回もあるでしょう。例えば今日は思っていたほどラーメンの量が食べられなくて悲しくなりました。
想像するから、思い通りにいかないと辛くなる。期待すればするほど、その乖離に深い悲しみを覚えるのかも知れません。

そういう点では、全てを前もって知っている、全知全能という存在は、まさに憧れなのかもしれません。これから起きることがすべて分かれば、前もって分かってさえいれば失望なんてしません。最初から「そういうもの」が「そういうもの」であることを知っているのであれば、そのようなギャップというものは生まれませんから。


一方で、思い通りに行く、或いは想像以上のことが出来れば、または起きれば、それとてつもなく幸福なことです。

僕はこの幸せの例として抹茶のパフェの話を挙げます。このパフェは京都で食べた抹茶のパフェです。
かつて、僕は抹茶というものが好きではありませんでした。だからこのパフェを食べる時だって大した期待はしていませんでした。
しかし食べてみてその味に驚き、想像を遥かに超えるこの食べ物に思わず舌鼓を打ちました。

全知全能の神というものは、こうした感動を味わうことは出来るんでしょうか?(全能なので、出来るのでしょう。すごい。xを1だと定義たら、xが1であることぐらい当たり前なことですね。)

 

まぁ、何が問題なのかというと、前者の比率と後者の比率を鑑みるに、生活をしていく中で出会うのは前者の方が圧倒的に多いのです。
期待というものをしない人間であれば、前者のパターンは起きにくいし、後者のハードルだって下がるので最適化されてると言えばされてるかもしれません。


でも、やっぱり、期待してる時は人生が楽しいのです。脳内で幸せな妄想をしている時間はそれが真実なので、明日食べに行く不味いラーメンだって食べないで家で妄想してる上では特上のフレンチレストランでのフルコースにも劣りません。

実情を知らないということはある意味幸福ですが、その代金として、期待を裏切られてみるというのも悪くはないのかもしれんね。

なんというか、「いいとこ取り」は、難しい。