浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

人生、人生って感じだ

1
やりたいことは何だろう?
太陽に当たりたいな、海風を浴びたい、浜辺でカニでも探したい

それをして、そういうことに時間を使って、何になるんだろうか。何の気なしに、捕まえたカニの気分になってみる。カニは、捕まえられた檻の中で、普段と同じように営んでいる、そうして結局檻の中でも別のカニと喧嘩をする。

カニとは僕だ。カニを捕まえる僕は僕ではなくてとっくに他の人なんだ。自分で捕まえているようで、自分が既に捕まっていることには気付かない。檻とはもはや言うまでもない。でも自分は文句を言えない、同じ穴の狢だからだ。


2
他人に寛容であるという事は、他人が自分に寛容であることを要求する理由にはならない。不寛容に対する不寛容を示した時点で、自分は寛容ではなくなってしまう。


3
ありとあらゆる人の発言権は、これを認めなければならない、相手の気に食わない発言も、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というヴォルーテルの有名な発言に抱かれることとなるでしょう。

でも、自分にはもはや喋る言葉もなければ、気力もないし、それを認められたいという気持ちもない。自分が相手の主張を絶対に聞くからと言って、相手が必ず自分の言う事を話だけでも聞いてくれるなんてことも有り得ないからだ。
そうすると、相手の言う言葉というものにも、それがそれなりの価値を持つのかわからなくなった。


4
他人に感情があると思うのは、自分に感情があるため、相手にもあるのだろうと考えているからだ。でも人間と言えるような人間なんて、結局自分だけなのかもしれない。他の人なんて、肉と骨がただあるだけで、その人が考えているかどうかなんて、わかりゃしないし、意味がない。生肉と骨をそれっぽく並べてもそれは人間を表さない。そうすると、逆説的に、自分だって人間じゃないのかなぁと思えてくるかもしれない。相手が人間でないのなら、自分ももはや人間ではないと思うことになったってなにもおかしくない。

しかし、そんなことは無い。これは確実に言える。なぜならこの微妙な雰囲気、つまり人生の、人生って感じを、僕は深く、そして確実に噛み締めているからだ。