浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

動物化する人間。人間化する動物。part.2

昨日の続きです。

 

第1章 動物化する人間

そういえば、昔高校でOBの東浩紀氏が書いた「動物化するポストモダン」という文章を読んだ気がしますが、そういう話をしてもいいんですけど、そんな話をしたところでその文章の劣化版にしかならないのでするつもりはありません。

それについてはまぁ都合のいい部分だけ僕が恣意的に要約すると、というかほとんど内容を覚えていないので彼の主張としては今からいう話を信じないでください。
近代を過ぎて例えば戦争であったり革命であったりといった大きな物語が凋落したため、その失われた大きな物語を補填するためにマンガやゲーム、映画などの虚構を求めますが、それはあくまでデータベース的な消費に収まってしまいます。その中では「キャラ萌え」などに見られるように「大きな物語」ではなく登場するキャラや設定といったデータには固執するけど、それが伝えるメッセージや意味に対して無関心になってしまうといったような内容です。わかりやすくいえばいわば性欲の赴くままに「(物語に登場する)〇〇ちゃんかわいいー」ととびついて、その大きな物語には関心を示さないというところがもはやなんも考えずに食欲のままにエサに飛びつく動物と変わりない。といったような感じだったと思います。

さっき言ったようにこんな話は今回言いたいわけではなくて、そんなことは学者さんとかもっと賢い人が研究していればいいのです。


じゃあなんでこんな話をしているのかというと、最近本当に人間らしいと思える人間があまりにも少なくて絶望しているからです。
人間として生きるとは?朝日の出と共に起きてご飯を食べて歯磨きをして、家を出て満員電車に揺られながら会社や学校に向かって、日中は精一杯働いて、ヘトヘトになって夜家に帰って寝るという生活でしょうか?
いいえ少なくとも今回に違いますね。というかそうだとすると僕はまぁ人間じゃないんですけど。
僕の言う「人間として生きる」とは先日書いたような「詩人として生きる」に限りなく近いように思います。
大きな物語をガン無視して欲の赴くままに動く人間を動物化していると言うなら、逆に小さなデータベースから大きな物語を探求しようとする人間を詩人と呼びましょう。

動物園でキャーカワイイ!!とかいってプレーリードッグに飛びつく女子中学生であったり、サルに向かって奇声を発して威嚇する小学生なんかは動物とたいして差がありません。

といっても動物として生きるのを批判することはできない、仮に詩人として生きようとしてもキリギリスは冬に死なねばならないということを考えてみてください。
人間的な苦悩を嫌がり、満足した豚でありたいと願うならば2度と人間的な喜びを得ようとするのは許されないが、痩せたソクラテスであったとしても餓死をしてしまえば元も子もない。結局、詩人と言っても彼らを満たすものは自己満足であって、かといって一方でニヒリズムに殺されて動物化した青年は翼をもがれてしまう。

最近尽く思うんですけど、中庸って大事ですね。いろんな哲学者の思想も中庸が大事ってことで落ち着くのもなんというかよく分かります。

ーーーー余談ーーーー
人間というものは不完全です。それを恥じたり悔いたり、或いはそれを愛したりするのはもっともかもしれませんが、それを誇って驕っているだけでは人間というよりはむしろ、権利の上に眠る豚なのです。
(「権利の上に眠るものは保護に値せず」とは、長期間権利を放置する人間の権利は他人の権利を守るために奪われうる、つまり時効によって消滅してしまうというような法律の格言です。)

人間は失敗をしますが、恐らく周りの寛容な人達がそれを許せるレベルなら許してくれるでしょう。ただそれに胡坐をかいていてはいけません。

気付きましたか?僕が今とてつもなく大きなブーメランを投げているということを!!