浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

人生観のコペルニクス的転回〜詩人として生きるということ〜

現状に満足できないそこのアナタ!詩人になってはいかがでしょう?
環境が精神を作り、環境に満足出来ないものは病みますが、逆に精神が富んだ人は環境もまた向上させることが出来るのではないでしょうか。

今日は18歳最後の日だったので、この1年間について書こうと思っていましたが、それよりも書きたいことがあって、実は最近のブログはちゃんと話が繋がっているのでその続きとして、今回は自己満足をプラスに捉えた話をしたいと思います。

先日友達との密会をして、進路の相談をしたというのはこの前書きました(http://kusomaguroman.hatenablog.com/entry/2017/05/27/210709)が、その時バラモンとは別に、自由律俳諧俳人になってはどうかとも勧められました。詩人、と聞いてなにを思い浮かべるでしょう。そんな存在はドラクエでしか会ったことがないとさえ思います。

ある友達は僕に「なんでそんなに文をポンポン書けるの」とか「俺も文才があったらブログ書きたかった」とか言ってきますが、僕に文才があるということ自体が頭の悪い認識で、明らかに乱文悪文です。ただし、とても速筆な事には速筆で、これは生来僕がとても内省的(かつ反省はしませんが)な性格を持っているためで、文の才能があるわけではありません。
もったいないと思うのは、いろいろな人が自分には詩がかけない、表現できないと思ってやろうとしないことです。
かつて僕は様々な人間に「1句詠むから返歌して」などということを言ってきましたが、詠んでくれる人と詠んでくれない人がいて、女子にいたっては十中八九返歌してくれませんでした。お前は日本人としてこれだけ生きてきて何をしてきたんだと言いたくもなります。別に僕は「上手い返歌」を求めているのではなく「自己表現しようとする」姿勢を求めているのです。(ただ、自分の願いを他人に強いてはいけませんので断られたらすぐに諦めましょう)

詩人であるためには、そう精神的に詩人であるためには、「ただ自分は詩人であって、感じたことを文字にする」という姿勢さえあればいいと考えます。そして詩人であると自覚することで、自分の目に映るものはおそらく、いや確実に変わってくるとさえ僕はここで言いたい。

人、動物、自然、そしてさらに言えば物体や、行為さえも、文字を与えることでそれらは永遠性を手に入れる。あるいは命を与えることが出来る。
必ず終わる運命にある人間が残す言葉というものは嬉しいことに、半永久的なものとなる。紡いだ文字列は、「この世界に存在しなかったもの」、それを生み出しているのだ!
この課程では忠実にうつしたいものをーー忠実にというよりは写実的にーー表現する必要はない。それはカメラの仕事である。必要なのは解釈で、これがあれば、別に言葉にさえしないで心の中にしまっておくのでもいいのかもしれない。

太陽がでたら太陽のすばらしさを讃えよう。月がでたらその美しさに惚れてみよう。ちょっと疲れたら芝生に腰をおろしてみよう。
自然に限らず、馬鹿なことをしている友達がいたら、それをポジティブに解釈して褒めよう!そうすれば心はきっと優しくなる。

ただ、詩人的な感受性にも悪い反面があります。悪いことが起きた時に、その分何度も何度も自分を追い詰めてしまう事もあるかもしれません。
言葉は人を生かしますが、人を死に至らしめることもあるのです。

詩人以外の生き方をあえて勧めるならばボディービルダーです。脳みそを筋肉にしてしまおう。些細な心配なんてきっとなくなるでしょう!
僕はそんなのただの動物と変わらないと思いますけどね。