浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

美女と野獣の野獣は死ぬべきではないか?

昨日美女と野獣を見に行って、いろいろと思うことがあったので書きます。安心してください、デートとかではまったくなく歌舞伎町のラーメン二郎に寄った後に1人で行って、ニンニクに塗れた息をぶちまけてきました。隣がカップルで右の人が若い女性だったのでまぁデート気分は味わえましたけど!

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今回この後触れていくのは物語の構造なので、演出について触れると、歌やダンスは大変良いものであったと思います。
帰り際でスイーツ系女子大生が「やっぱ英語って違うよね、吹き替えにすればよかった」とかほざいていて、まったく相容れないんですが、ああいう英語の歌や詩は英語ならではの押韻等の技巧を凝らしているのでやはり英語で見るべきなのです。例えば日本でいう俳句、あれは575ですし、あれを英語に翻訳しようという動きもありましたが、やはり日本語で鑑賞しないと本当の良さは分からないのです。ただここには大きな罠があって、自分の英語の能力が低くそれを嗜むほどの教養があるのかというと怪しいので、昨日のブログで書いたとおり、鑑賞にはやはり高度な教養が要されるんだろうなぁと思いました。寺を鑑賞する時にその造りの知識があれば面白いように中世の建物や家具の様式なんかも知っておくともっと楽しめたのかなぁとも思います。
しかしこういう鑑賞方法には難しい問題がありまして、例えば「ここのカメラどうやってとっているのかな」とか「この雪玉あたったら常識的に考えて死ぬだろ」とか「絶対こんな音ならないだろ」とかいろいろ考えてしまうと一瞬映画から意識が飛んでしばらくして復活するも重要な部分を見落としてしまうので考えものですね。


さて、本題に入っていきたいと思います。
よくいわれている事で「アメリカの映画は日本とは違ってバットエンドでは売れにくい傾向にある」というものがあります。

僕は人生で1番良いと思う映画を挙げろと言われると迷わずに「タイタニック」を推すし、実際タイタニックはバットエンドなのに世界的大ヒットをしていますから、この最も良い反例ではあると思います。しかし、実際にみわたして考えてみるとMarvelのアメコミ原案のヒーロー映画よろしく基本的に勝利におわって「万歳〜(^o^)/」「USA!!USA!!」みたいな感じで終わるものも多いなと思うので今回はこの立場で話をすすめていきたいなと思います。

一方で日本の作品はバッドエンドでなくても良作なら売れるし、バッドエンドはバッドエンドで好まれる傾向にあります。といいますか、最近読む日本の文学が、特に選んでいるわけでもないのにことごとく、自殺エンド、美女の傀儡エンド、放火エンドとバッドエンドだらけで驚くほどです。ここではまずみなさんでも知っている「ごんぎつね」について研究していきましょう。

「ごんぎつね」、あらすじを話すと

主人公の母親が死ぬ直前にうなぎを食べたいと願っていたのに、イタズラ好きのキツネであるごんがそれを逃がしてしまいます。
その後母親が死んで、そのキツネは今までのイタズラを反省して、主人公のもとへ毎日山の幸を届けに行くようになります。
しかしある日、主人公はキツネが自分の家の周りでうろちょろしているのを見つけて火縄銃で撃ち殺し、撃ち殺したあと足元に転がる山の幸を見て、毎日キツネが運んできていてくれたことを知り、「ごん、お前だったのか」と言いキツネは頷くものの、死んでしまいました。

読んでから十年近くたつのでちょっと間違えているかも知れませんが、こんな話だったと思います。
このストーリーは「ごんが死ぬこと」で大成します。ごんが死ぬことで、ごんは贖われない自分の罪によって不幸を被り、主人公の兵十は深い反省の念にとらわれて、結果誰もが不幸になる。にも関わらずごんは死ななければ話は浅くなってしまうのです。
仮にこれが仏法説話などであれば、ごんは改心して仏に祈り、兵十へ贖罪をし続けることで許され、和解しハッピーエンドになるかもしれませんが、この話はごんが死ぬことによってはじめて意味が生まれるのではないでしょうか。

美女と野獣」においても途中までは同じ構造を歩みます。

その昔、城のお偉いさん達は優雅で勝手な暮らしをしていて(ここがごんのイタズラ歴と同様に「罪」を表すエピソード)、魔女によって王子は野獣、部下はアンティークに変えられてしまいます。
その後長い時間がたって、野獣は美女と恋をして改心し、豊かな心を取り戻しはじめます。(ここはゴンが山の幸を届けにいくようになるのと同じ構図です)
しかし不運にも街の人たちが城を攻めてきて、野獣は死にかけ、下々の動くアンティーク達も命を失ってしまいます。(ごんが撃たれるシーンと同様)

ごんぎつねならここで終わりですが、この作品は一味違って、最後に美女と野獣が真実の愛で結ばれることによって野獣やアンティーク達は生き返り、人の姿を取り戻して、街の人たちと和解して終わるのです。

僕は正直この話を浅いと思いました。確かに最後生き返ることで「愛の素晴らしさ」を説いているのかも知れませんが、なんとも最後に生き返るのがご都合主義で、バッドエンドのままおわって人々を「争う愚かさ」への反省の念で溢れさせた方がいいのではないか。そう思って僕は野獣は死ぬべきではないかと思ってこの文を書きました。

内心での自己満足と、実情の物質的な得のどちらを天秤にとるかという話はまた長くなるので今度の機会にしたいと思います。

しかし恐らく、これを見に来る層はといえば、夢見る女子やカップルなのでハッピーエンドのほうがよろしいのでしょう。僕みたいなひねくれた男は部屋にこもってバッドエンドの本を読んで1人で感傷にひたっているべきなのです。