浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

初めて眠れなくなった夜

5、6歳頃の事でしょうか。府中に住んでいたから、おそらくそれぐらいの時のことです。なんで眠れなくなったのかというと「地球が数十億年後、太陽に飲み込まれる」ということを知ってしまったのです。(現在の研究では、飲み込まれるのは金星あたりまでで、地球は飲み込まれないらしいです。60億年後ぐらいに膨張、その後一旦収縮して、また大きくなるとかなんとか。まぁタダですむわけではないんですね)

自分はそんな時代まで生きているわけがない、自分の人生のピリオドよりももっともっと先の世界の、地球のピリオド。当時の僕は「物事の終わり」なんて全然思いもよらなかった上に、後者を先に知ってしまって、震えがとまりませんでした。

なにをやったって、絶対に訪れる終わり。僕は話を作る時によく「オチ」から考えて作りますが、実際に自分がその中の世界の住民に化してしまうのは辛い話です。

「お母さん、眠れなくなった。」

まぁそう言いつつも寝たんですけど。
その後僕は祖母の死亡を期に、人生の終わりというものを認識することになります。

今回のテーマは、「物事の終わり」ではなくて、「壮大さ」です。この世の中の物体には決まった「大きさ」があるのが普通ですが、その大きさとは本当に自分が思っている大きさなのでしょうか。

みなさん、脳内に真っ白でただただ広い空間をイメージしてください。そうしてその白い空間に僕がいて、ただひたすらにその空間を進んでいく、そうですね、時速60㌔からスタートして、どんどんどんどん早く。
これを例えるならば、Excelで↓ボタンをひたすら押して一番下の行、セルを追いかけていく、そんな感触。
まぁExcelにも最後のセルがあるように(あれ?ありますよね?)、自分の想像できる白い空間にも、いずれ壁が現れます。そこを認識して、やっと、自分のこの何リットルかわからないけど一定のサイズをもつ脳みその容積には、その容積以上の「広さ」があったのだと知りました。これもつい最近の話なんですけどね。
自分の脳には、この三次元空間とは違って時間を遡る機能も、進める機能も存在しています。人間は今を生きているようで過去にとらわれています。だから記憶とは愛おしい。自分の記憶を引き抜かれたら、はたして自分はどうなるのでしょうか。

あと壮大だなぁと思うのは、まぁ宇宙の無限の広さとか自然の雄大さという話をするのもまぁいいんですけど、自分という存在ですね。自分自身から生物がまだ海底の熱水噴出孔でフヨフヨしていた有機物スープのころまでひたすらと先祖が続いている。これめっちゃ凄いと思うんですね。両親から自分が生まれたことでさえ天文学的な確率なのに、それが何十億年も、凄いというよりむしろこわい。まぁその末代になるのは非常に申し訳ないんですけど。なんか末代という自覚を持つとそういうことを考えていると、なんというか、その、眠くなってきた。

「僕の親、起こさないでくれ、たとえ今が朝だとしても。」