浪人失格

恥の多い生涯を送ってきました。徒然なるままに日々の考えを記録していきたいと思います。

地球は大きな亀の上

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ガラス戸から外を眺めると、台風のせいか木が荒ぶっていた。枝を上下にぐわんぐわんと揺らし、葉っぱを周りに撒き散らしていた。

普通の場合はそれを見て

「ああ、風が強いんだな」

そう思うだろう。
風が吹いていて、それによって木が動かされているんだから。

でもよく考えてみると、室内では風なんて吹いていないし、そう思えるのは単に自分の経験によるものなのかもしれない。

少し思考実験。

一生室内で過ごしている人間がいたとして、外の木を見てどう思うだろう。

「めっちゃ暴れている!」と思うだろうし、木が動物であると信じるかもしれない。

そう考えて、目の前の木を眺めてみると何だかとても恐ろしくなった。

もしそういう子が外に出て、風というものを知ったとしても、「風で木が揺れている」というよりかは「荒ぶった木がとてつもない風を起こしている」と思うかもしれない。

もしそこが砂漠で、身の回りに木なんかなかったとしても、どこかでとても巨大な世界樹だとか、雲の上に住む神様が怒って風というものを発生させているかもしれない。

逆に、そうじゃないと言いきれるのはなぜなんだろうか。僕は分からなくなった。

慣れや知識によって生活は楽になるものの、思考の幅は狭まってしまっている。

ニーチェ、少年革命家ゆたぽんとやってることが変わらない

自己紹介。

自分というものは、自分が1番知っているようですが、言語化するのは案外むずかしい。自分に関連する多くの時間を過ごしているからといって、客観的に見ている時間はかなり短いもので、自己分析がうまい人間はある種の才能を持っているのかなと。

「鼻毛出ているよ」というのは割と他人に指摘されて気づくものなのです。

さて、今日はなんとなく本を買いました。

フリードリヒ・ニーチェの「この人を見よ」という本です。

この人って誰?って思いますが、ニーチェのことです。
ニーチェの代表作といえば「ツァラトゥストラはかく語りき」という本ですが、これは超人ツァラトゥストラという登場人物を用いて自分の考えを出版したものです。

自分をツァラトゥストラに代弁させたり、「この人」なんて第三者的な目線で見れるなんて、客観視や表現が上手いんだろうなと思ってなんとなく購入。

本の内容紹介はこんな感じです。
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本書はニーチェ発狂の前年に成った最後の著作である。〝この人〟とはニーチェ自身を指し、本書では自らの著作と思考の全体について、彼が時代とどう対決し、個々の著作はどういう動機によって書かれたかが解明される。価値の根本転換を説くニーチェの思考の到達点が簡明に語られているので、ニーチェ最高の入門書として、また風変わりの自伝としても読むことが出来る。
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目次を開いてみてびっくり。

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目次

なぜ私はかくも賢明なのか
なぜ私はかくも怜悧なのか
なぜ私はかくも良い本を書くのか
なぜ私は一個の運命であるのか
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お、おう。
すごい自己分析本だなぁと思って読み進めてみる。

 


読んでて最初にほーんってなったのはこの部分。
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p20
ところが、典型的に健康な人間にとっては、反対に、病気であることが生きること、より多量に生きることへの強力な刺戟にさえなり得るのである
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普段健康な人にとっては、たまの病気は人生のスパイスらしいということか。納得。

 

 

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p29
私は乱暴ということをあまり見下げてもらいたくないと思っている。乱暴とは抗議の最も人間的な形式であることにおいて際立っており、ものみなすべて惰弱化ふる傾向の只中にあっては、われわれの第一級の徳目の一つである。
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んー、たしかに。でも徳目は言い過ぎな気もする。

 

 

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p32
仏陀の「宗教」は寧ろ一種の衛生学と呼んだ方が、キリスト教のようなあんな哀れむべきものとの混同をさける為にもかえって良いのだが、この「宗教」はルサンチマンに打ち勝つことをもってその功徳とした。つまり、魂がルサンチマンによって左右されないようにすることーーこれが病気からの回復への第一歩なのである。
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ニーチェはバチクソのキリスト教アンチなんですが、仏教についての解釈はここで知った。仏教を衛生学と捉える見方は面白いなぁと思う。生活規範とかメンタル術として見れば仏教というものはかなり特殊なものに思えるかもしれない。
彼いわく、ルサンチマンとか恨みつらみは体に悪いらしい。なんか内臓で変な汁が出るからとか書いてたけど本当かは知らん。ストレスが体に悪いのはガチなんかな。
仏教はそういう俗世のしょうもないいざこざとバイバイして解脱するもんなので、彼的に評価が高いのかなぁ。

 

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p33
自己自身を一個の宿命さながらに受け取り、自分は「別様で」ありたいなどと思わないこと

p34
戦いとなるとまた話は別である。私は私の流儀に従って戦闘的である
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あ、割と戦うんか。なんか喋り方がイキリオタクみたいやな。そして、戦う時には彼なりのルールがあるらしい。以下に続く


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p35
第一条 、私は勝ち誇っている事柄にだけ攻撃を仕掛ける。
(中略)
第二条、私は同盟できる味方が見つかりそうになく、自分は孤立し、ーー自分ひとりが危険にさらされる場合にだけ攻撃を行う。
(中略)
第三条、私は個人を決して攻撃しない。
(中略)
第四条、私は個人的感情の食い違いなどが生じない案件、いやな目にあったとかあわなかったとかいう背後事情を、持たないような案件だけを攻撃する。
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めっちゃ逆張りオタクやんけ!
ちなみに、第一条に関しては、喧嘩売る相手が調子に乗るまでは黙って待っていて、波に乗ってきた瞬間叩くらしいです。

ほんとニーチェって陰湿だな


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p36
攻撃するということは、私の場合には一種の好意の証なのであり、ときには感謝の記しだといってもよいのである。(中略)私がそれらの味方なのか、はたまた敵なのかーーそういうことは私にはどっちでも良いことなのだ。私はキリスト教に、戦いを挑んではいるものの、キリスト教の側から災難や妨害を加えられた覚えがないからこそ、戦いを挑む資格が私にはあるのだと考えている
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といいつつなんか最後に釈明的なことを入れている。なんか良くないと思うんだよね。
漫画の敵キャラで実はいいやつだったみたいな展開が1番苦手。敵は敵でい続けてくれた方がかっこええな。

 

 



ニーチェの発想といい、結局台頭する人間って周りと別のことをしている人間なんだよね。いい目立ち方にしろわるい目立ち方にしろ、擁護する信者や叩くアンチが湧いて、少年革命家ゆたぽんのYouTubeチャンネル登録者数は増える。

 

そんなこんなで、「なぜ私はかくも賢明なのか」の章を読み終えたところでこの本を閉じることにした。

なぜなら僕もまた逆張りオタクだから、ニーチェの思い通り最後まで読んであげるのは腹が立つからだ。

ADHD健康法

1月末、寮を出たころ50キロぐらいだったのに、最近ふと体重計にのったら56キロ。

身長に対しては全然まだ痩せてるけれども、野菜全くくってねぇし期間的にもあまりいい太り方ではないなぁと思いつつ、夏までに痩せると意気込む新井さんを尻目に、この増え方はあんまりよろしくないなと思うこの頃。

 

ところで僕は待ち合わせをするときに、時間ギリギリorちょい遅れになりがちで、いつもどこかしらで走ります。

すぐ出れば待ち合わせ時間の1時間以上前に着きそうな余裕のあるときでも、ゴロゴロして、結局駅までガチでダッシュします。

ガチでダッシュして間に合うという経験をつむと、その時間に出ればなんとかなるということを悟って、その時より早い時間に出る気を失うのです。

そのため次からも同じ時間か、またはさらに遅い時間に出発するようになるのでまたしても走ることになります。

そうすることで、慢性的に運動不足になりやすい現代社会で貴重な運動の機会を得ることができるのです。


みなさんも始めましょう!

 

オタクのバックはなぜ重い?

思えば、無駄にカバンが重かった。
中高のときは特にそうだった。

当日使いもしないテキスト、読みもしない本、充電の切れた3DSとvita、小さいボール、大きいカラーボール、そしてボールの空気入れ。

何よりも、あらゆるポケットや底の部分にはぐちゃぐちゃになったプリントや、謎の風化したレシートやお菓子のカスがたまっていた。チョコレートがボロボロになったカスは捨てるのがとても難しい。

無人島に持っていくなら何をもっていく?」という質問は有名で、植物図鑑だとか、ナイフだとかいろいろあるけど

(注 脳内が多動症なので以下この話の続きは一切出てこない)

あ、そういえば無駄に十徳ナイフを持ち歩いてたなぁ。小学生のときは制服の内側にハサミを入れて「護身用」とかイキっていたことを思い出して頭が痛くなってきた。

カバンが終わってるのはそれはそうとして、筆箱の中とか特にひどい。まずなんでペンがバラバラに分解されているのかわからないし、シャーペンの芯はなぜ飛び出てボキボキに折れているのか。使いたい時にインクは出ない、ゴミみたいなボールペンがたくさん入っていた。
誰のかわからないシャーペンも入っていたし、それはまぁ今でも使っている。てか中学以降シャーペンを購入した思い出が2回くらいしかないんだけど、両方とも秒で無くして悲しくなった。誰かが使ってくれてるとまだいいんだけどなぁ。
筆記用具はまだいいとして、高校同期が提出期限逃して出せなくなった検尿とかその他ノリで貰ったものの捨て時がわからないものが詰まっていた。
あと高校2年まで使っていた筆箱は、小学5年のときから使っていたやつで、昔自分で「ファスナー、チャックの部分切ったらどうなるのかなぁ」と思ってハサミで切って以降閉められなくなっていた。ここからボロボロ用具が落ちて、カバンの「地層」へとなっていくわけだ。


さて、オタクというか、僕という生物は割と物が捨てられない性格なんだなぁと思う。

それに対して兄は結構断捨離マンである。

小学校のときにお小遣いでコツコツ買っていたマンガを部屋に置いていたら、高校生の時に邪魔とかいうことで断りもなく兄にBOOKOFFで勝手に売られたときは「一冊一冊に思い出がある、○○の○巻は西日暮里で買った」とか号泣して「買い戻せば許されることではない」と怒っていた。

結局スネたので売ったお金も本も戻ってこなかった。

んー。たしかに断捨離できないのは良くないことではあるけど、しすぎるのも良くない。結局中庸がbetterなんよな。

兄はやはりそういうところに執着がないから単位も断捨離して留年してしまったのではないかと考えると、「こだわる」ことを忘れてはいけないなぁと思った。

3月10日、目黒の夜をゆく

今日はめずらしくバイトを休みにしていました、今週一週間は毎日なにかしら麻雀をしていたので、しばらく頭を休めようかなと。

何もない日っていうものは素晴らしい。

ある日に用事をいれたとする。例えば次の日が学校だとか。そうすると、その前日は「明日○○の用事がある」という懸念を抱えたまま生活するので、予定をいれた日だけでなくその前日も結構渋くなってしまう気がしません?

昨日の夜は「明日なにもないんだ」という開放感の中、飯を作り、酒を飲み、寝た。

起きたら11:30、それでも僕は幸せだった。

寝違えていた。トカゲの水槽の電気をつけて、ベッドでゴロゴロ。

そうこうしているうちにTwitterを開いたら、東大の合格発表で、そうか今日は3月10日だったかなと。

レミオロメンの曲に「3月9日」という曲があって、あの曲はたしか卒業ソングみたいな感じだったと思いますが、「3月10日」というと、そんな感じで、東大受験者にとってはある種の節目であり思い出が想起されるものなのでしょうか。

絶対受かってると思ってた後輩が落ちていた。悲しい。

そういえば自分が受験落ちた時、実は現役のときは前期千葉医しか受けていなくて、沖縄の国際通りでちんすこうを齧りながら「いまからネットで合格発表見るから、顔見て合否当てるゲームしようぜw」などとほざきながら無事不合格。浪人をバチコリ決めて行った。

ヒューヒュー。

沖縄の市場のおばさんに声をかけられて、「人生長い」といわれつつ、ホテルにかえってちょっとしんみり。

その時沖縄に一緒にいたメンバーの8人のうち6人は東大受験だったので、まだ結果は出ず。

実家に帰って、僕はコタツで3/10の正午を迎えました。友達の不合格を願うことはありませんが、合格を心から祝えたかというと、難しいものがあり、他人の合格を祝えるのは、合格した者の権利なんだなぁと思った。

E判定だった高校同期が東大に受かっているのが目に入ってきて、Twitterのアカウント名の後ろに「UT」とかつけたり、「負けに不思議の負けなし」と不合格者を煽るツイートをしていた。

 

さて、そんなものはもはやどうでもいい記憶。

 

その二年後の今日というと、ダラダラ春休み起きてきて、ベッドの隣には信頼できる彼女と、信頼しかねるトカゲ、そしてカサカサうるせぇ餌のコオロギ。
クックドゥホイコーローを作って、映画を見ていると急に眠くなってお昼寝。

高校同期のサトウマサヤくん(仮名)に、目黒ハウスに呼ばれて、Mリーグを視聴、結局また麻雀の対局見てるやん、麻雀から数日離れたいとはなんだったのか。

(ちなみに、ここまでが3/10に書いてた内容で、ここで飽きて放置していた。ここからは3/19に書いてる内容)

この数日前、彼はベネチアにいた。ベネチアにいたところ成績開示で自身の留年を知ったのに、なぜかヘラヘラしててすごい図太いなぁと尊敬した。

彼の同居人は「スペインに生まれてスペイン語が喋れるだけの無能」「俺は東京大学の学生」と主張していたが、彼はその無能によって「1回休む」のマスに止まらさせられてしまったようだ。

僕は彼が大好きで、高校同期の星だと思っていて、なんなら中学卒業の時点で大学の学位を授けるに値すると感じていたので、なぜ飛び級どころか留まることになってしまったのか、周りの見る目がないなぁと評せざるを得ない。

バチェラーとかいうクソ番組があって、イケメン金持ちの男性に、20人だか25人だかの結婚希望の女性がむらがって、その中から一人が選ばれるみたいな感じなんですけど、その中で選ばれなかった女性は、基本的に「幸せになってください」とか「頑張ってください」みたいなことを言っていた。しかし、一人「あなた見る目ないわね」って言って去っていった女の人がいて、ああこういう態度好きだわ〜ってなった。

その時は東大の対応にイライラしてましたが、今となっては彼を評価できる人が評価すればいいんだなぁと思って納得しました。東大は見る目がない。小さい子にわざわざワサビを食べさせる必要はないし、美味しいと思う人だけが食べて、それを味わえばいいんだなって。

ちなみに僕はワサビがそんなに好きではありません。なんでこの例を出したのかというと、なんでだろう。


ラーメン二郎に行きたい人は行けばいいし、行きたくない人に無理に勧めることはしない。けれども僕もサトウマサヤくんも「わかる人」であったので当然二人でラーメン二郎目黒店に行った。

ラーメン二郎の空間は基本的に「わかる人」の空間であり、店の衛生環境とは裏腹に大変洗練されていた。

腹を満たして中目黒まで歩く。彼の四月からの新しい住処は中目黒にうつるらしくて、その下見に付き合う感じだった。

そこでいろんなことを話した。

さて、この日のMリーグはというと、最強最速の多井プロが六巡目に大三元を放銃してしまい、麻雀は怖いなぁということ。麻雀やってると「起こりうることは起きる」っていうのをすごく実感する機会が多くて、まぁ印象が強かった場合だけ記憶に残ってるだけなんでしょうけど、割と起きるんだよなぁ。一寸先は闇かもしれなくて。

僕はまぁ将来テキトーに医師免許を取って馬車馬のように働くという道があるから今みたいにダラダラしたり麻雀したりできているけど、実際そういうものがなかったとしたら同じように出来ているのかというとわからないなぁと思った。

この年の嫌なところであり、また面白いところである「将来の話」というのは難しい。

僕は何歳になってもスマブラの話だとか、昨日読んだ漫画の話とかでいいのに、最近になって現れた特大ジャンル、将来の話。

僕は一浪しているから一年ずれているけど、同期の文系だともう次は3年生で就活のこととかを考えなければいけないらしくて、そういう話を聞くとちょっとキツい

彼はこんなことも言っていた。高校同期から毎月5000円貰えばそれだけで月収80万円だよな、みたいな。


それぐらい世の中簡単にならないかなと思った、3月10日の夜。

オチはなく、星も見えない目黒の夜からは、微かに春を感じることが出来た。応援しているで、サトウマサヤくん。

21世紀の人類の進化〜電車編〜

さっきまでプライベート・ライアンを見ていました。第二次大戦の映画なんですよね。

そういえばその前に見たウルフオブウォールストリートはたったその50年後。数年で人々の過ごし方や価値観は結構違うんだなぁって。

まぁ極限状態の時と人々の日々の暮らしを比較したってなんの意味もないわけで。

そういえばインドが舞台の映画でスラムドックミリオネアだとか、ライオンだとかを見て「インドの治安草、これ21世紀かよ」と思っていたので、時代というか場所によってもかなり変わるんだなぁと。

ウルフオブウォールストリートで主人公のジョーダンが起訴されたのが1998年。僕が生まれた年にあたりますが、ここからの50年はどう変わるんでしょうか。

 

 

さて、これを書き始める2分前くらい。

なんか総武線にのっていたはずなのに、気がついたら勝手に山手線に乗り換えていて

いやぁ体ってすごいなぁって思った

最寄り駅になったらパッと目が覚めるのもすごいしなぁ

 

 

って呟いてる最中に自分が勝手に渋谷で降りていることに気づいた

目黒で降りる予定だったのに。そこまで自律しないでくれ

 

虚無

一人暮らしのデジタル飯

新生活の準備の時期に入ってきました。
最近一人暮らしだとか、あるいはn人暮らしを始める人が多いと思います。

①デジタル料理
②非デジ料理
③鉄料理

僕も自炊歴がそろそろ1年になるので、男子校出身で本当に家事をしたことないよーって感じの人向けにデジタル料理を紹介したいと思います。

①デジタル料理
・食パン1斤
⑴焼いて塗って食べる
⑵焼いて食べる
⑶生で食べる
の三段階がある。新生活のころは一番上だが、そのうち一番下へ。

・レタス1玉
毎日食パン1斤生活を続けている時に気づきます。「これ栄養バランスやばくね?」
大丈夫。毎日レタスだけ食べていても偏ります。太く短く生きろ!

・鍋
液体にそこらへんのものをぶち込めば美味しく食べられる。冷蔵庫処理に一役。

・焼いた肉
間違いない。適当に塩コショウか焼肉のタレをかければ最強。

・冷蔵庫炒め
冷蔵庫にあるものを切ったもの。
焼いたら食える。

・卵かけご飯
デジタルの頂点。納豆をぶちこむとデジタル感が増す。デジタルすぎて未来の料理

・カルピスソーダ500ml
この世の幸せの全てを置いてきた。本郷三丁目付近にはカルピスソーダ500mlの缶を100円で売ってる自販機が多い。
お酒買うより幸せ。

いろはす2L
100円

②非デジ料理
・ピーマンを含むもの
作るのに苦労するくせにまずい。
CookDoは有能だけど、青椒肉絲とか、あと名前忘れたけどよくわからん中華料理の肉とキャベツとピーマンぶちこむやつ。あれ正直ピーマンいらないよね。

いろはす500ml
バカが買う商品。コンビニで2Lが100円なのに、500mlは108円
これを持ち歩いている人間は、自分が算数が出来ないバカであること、あるいは体力のない雑魚であることを露呈している。

・餃子
同居人の新井さんが作るのが大好きで、お肉を皮で巻いて作る。餃子の皮をいい感じに使い切るのが大変で、残ったらまた使うことになる。そしたらひき肉が余る。たいへん。
まぁ新井さんが作ったものを食べるだけなのでうまいしデジタル寄り。

③鉄料理
松屋の牛丼
コスパ最強。洗い物をする時間や調理する時間を短縮できるので、機会費用を考えると最強。独り立ちする人に最強。

 

んー、てかこんな感じで